昨年、ご開扉をされていた時期に行きました。 正確に言うと、ご開扉の期間には、どうしても行くことができなかったのですが、読者の方から、「ご開扉期間が延長されましたよ〜」という情報をいただいて、「だったら行ける〜!」と参拝しました。 扉が開けられるのは、12年に1度だそうですから、間に合って良かったです。 瀧泉寺は入口である仁王門をくぐると、参道がまっすぐにのびていて、その向こうに石段があり、本堂へと続いています。 何も考えずに門を入り、2〜3歩進んだところで、いきなり江戸時代の人々が目の前にパーッと広がりました。 意識してその時代を見ようと思ったのではなく、自然とその時代に繋がったのです。 男の人も女の人も、大人も子どもも、年老いた人も……着物を着た人々が、たくさん行き交っていました。 お祭り? というくらいの人数で、ものすごーく賑わっているのです。 「すごいな〜」と、しばらくその光景をボ〜ッと見ました。 ここまで過去にしっかり繋がれるのは珍しい、と思っていたら、後日、別の読者の方から、リクエストとともに「江戸時代に栄えていたそうです」というメッセージが届きました。 わかるわかる、そんな感じだった、と深く納得しました。 参道を進むと、石段の手前左側に「独鈷の滝」があります。 滝と言っても、普通の滝があるのではなく、どちらかと言うと、「池」です。 石組みで囲ってあって、そこに龍の顔が設置されており、口から水が出ています。 この水で水垢離(みずごり)をするのかな? と思いましたが、ここの「場」のパワーがすごかったです。 もう本堂に行かなくても、ここにおられるお不動さんを参拝すれば十分なのでは? と、思ったくらいです。 この「場」の力が強いから、仁王門から独鈷の滝までの間で、江戸時代が見えたようにも思いました。 石組みの上には、たくさんのお不動さんの石像や仏様が置かれていました。 その中に2体だけ、特別に強い力を持ったお不動さんがおられます。 昔は別の場所にいたようですが、とにかく強いです。 ボ〜ッとその2体のお不動さんを見つめ、独鈷の滝のそばにあるお堂を見たり、代わりに水垢離をして下さる「水かけ不動明王」を見たりして、結構ここで長い時間を過ごしました。(水かけ不動明王は、水をかけた同じところが良くなると言われているそうです) 独鈷の滝は、本当にとても気持ちの良い場所で、石で囲まれる前はすごい聖地だったのでは? と思いました。 本堂の中の、仏様がいらっしゃる場所は、内陣と脇陣の3つに分かれていました。 (文章ではわかりづらいと思います。知恩院さんのサイトに同じような〝平面図〟が載っておりますので、どのような感じなのかそちらをご覧下さい。建物の広さ・大きさなどは違いますが、〝平面図〟がよく似ています。→コチラです) 外陣に上がらせてもらえたので、しっかりと拝観しました。 【真ん中の内陣】の須弥壇には、ご開扉されていたご本尊がおられましたが……御簾(みす)越しの拝観だったので、お姿をハッキリと見ることはできませんでした。 金色の剣を持っていらっしゃるなぁ、という程度です。 御簾の前にも、お不動さん像が1体安置されていました。 その手前は、お坊さんが護摩を焚く護摩壇となっています。 【左側脇壇】の中央には愛染明王像があり、その左横には「賓頭盧(びんずる)」さんがおられます。(脇陣には入れます) なんと! ですね、この賓頭盧さんは磨耗していませんでした。 どこのお寺でも、自分の体の悪い部分と同じ場所をさわれば良くなると書かれている賓頭盧さんです。 大勢の人に撫でまくられ、さわられまくりですから、体のあちこちが磨耗しているのが普通なので、「磨耗していない賓頭盧さんもいるんだ〜」と、新鮮な驚きでした。 愛染明王の右横にも立派なお不動さん像があります。 【右側脇壇】には、勢至菩薩、虚空蔵菩薩の仏様と、中興の祖のお坊さん、円仁さんなどの像がありました。 中興の祖のお坊さん仏像は、しっかりご本人と道が繋がっていました。 円仁さんも繋がっていますが、この方は元三大師以上に前面に出るタイプではなく、ものすごーく謙虚な仏様です。 最澄さんのお弟子さんは、格の高い仏様になっていても控えめな方が多いです。 さて、このような秘仏(安置されている厨子の扉が、通常は閉まっている仏様)の場合、お願いは聞いてもらえるのでし続きをみる
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