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人の一生とは

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先日、 「楽しい高齢者の方々」 という記事で書いた、Cさんについてのお話です。

仮に ”セツコさん” としておきます。

セツコさんは小学校の時、4回転校したそうです。

転校すると友だちがいなくなるので、寂しくて、学校を変わるのはイヤだったと言っていました。

「それはつらかったでしょうね~、お友だちを作るのは簡単じゃないですもんね」

そう言うと、セツコさんはウフフと笑い 「コツがあるねん」 と教えてくれました。

当時、小学校では、なわ跳びが流行っていたそうです。

なわ跳びといっても1人で跳ぶのではなく、なわの両端を2人が持ち、ぐるんぐるん大きく回して、次々と入って跳んで出る、という方です。

みんながなわ跳びで遊んでいるところに行って、セツコさんはこう言ったそうです。

「私、回すだけでええから。跳ばんでええねん。だから、仲間に入れて」

どの子もみんな、跳ぶ方が楽しいので、出来れば跳んでばかりいたい、回す係は避けたい、と思います。

でも回す係は順番に回ってくるわけで・・・そこに 「ずっと回すだけでいいよ」 という子が入れば、回す係になるのが半分で済みます。

「そう言うたら仲間に入れてくれるねん」

ほー、なるほど~。

誰もが嫌がることを、進んで ”する” と言うと、人はすんなり受け入れてくれのかー、へぇ~、と思いました。

それを ”小学生の時に” 思いついた、というのがすごいです。

「セツコさん、それは大人でも使えるコツですね~」

「やろ? でもな、気がついたら私も飛んでるねん。あとから、セツコさん飛んでたな、って言われたわ~」 と笑っていました。

人生訓だと思います。

セツコさんのご主人は早くに亡くなり、セツコさんは娘2人と母親を養うために、一生懸命働きました。

調理師だったセツコさんですが、職場ではイジメもあったと言います。

「つらかったな・・・」

「どんなイジメだったんですか?」

「キツイおばちゃんがおってな、まな板が飛んできたこともあった~」

「えー! それでどうされたんですか?」

「何も言わへん。キッと睨んだだけや」

「まな板が飛んできても、我慢されたんですか?」

「私、働かなアカンかったもんな、娘と母親にご飯食べさせなアカンやろ? そこで何か言うたらおしまいやからな」

「ほー」

「何か言うなら、辞める覚悟で言わなな。私、辞められへんかったから何も言わずに我慢した」

たしかにそうかもなぁ、と思いました。

言わずに我慢することがいいのかどうかは意見の分かれるところですが、言わずにいれば、また自然と仲良く出来る日も来るのだそうです。

セツコさんは真面目に定年まで働いて、娘2人を育て上げ、母親を見送りました。

「退職してな、みんなで温泉に行ったんや~」

セツコさんは、娘夫婦2組とその子供たちとで、温泉地に旅行に行ったそうです。

有名な高級旅館に宿泊して、豪華な美味しいお料理を食べ、いいお湯につかって楽しかったそうです。

「それで退職金、全部使こた」

え? セツコさんが払ったの? と私は思いました。

普通は、長い間お疲れ様でした、と周りがプレゼントしてくれるのでは・・・と思っていたら、セツコさんが言いました。

「娘も孫も、みんなよくしてくれるねん、みんなが助けてくれたから定年まで働けたんや。せやからお礼がしたかった~」

「そうだったんですか~」

「みんなと一緒に旅行が出来て嬉しかったわ~。楽しかったなぁ・・・」

「いい思い出ですね~。退職金を全部使っても惜しくないですね、それは」

「全然、惜しいことなんかあらへん」 そう言ってセツコさんはにこにこ笑っていました。

素敵だなー、と思いました。

セツコさんは、こうも言います。

「人間、偉くなんかならんでええんや」

というのは、セツコさんの上の娘さんは、会社で偉くなって、精神的に疲れて病気になってしまったからです。

結局、退職したそうです。

「病気になってしもたら、誰も代わってくれへんもんな・・・。偉くなって人に指図なんかせんでええねん。自分の仕事を真面目にしてればそれでええんや。私なんか偉なったこと一回もあらへん」

「私もそう思います~。私、一番下っ端だから気楽ですもん」 と同意しました。

偉くなると、部下に嫌なことも言わなければいけなくなる、あれもこれも自分がやらなければ! と気負ってしまう、そんな気苦労をしてまで偉くならなくてもいいのだと言います。

素晴らしい人生訓だな、と思いました。

セツコさんは戦争中に、落ちてくる焼夷弾の中を走って逃げたそうです。

焼夷弾に当たって、近所で4人の人が亡くなったと言っていました。

逃げる時に、焼けて黒くなってしまったおばあさんも見たそうです。

そのおばあさんの 「お水ちょうだい、お水ちょうだい」 という最期の言葉が、今でも耳から離れないと言っていました。

日本が負けたと知らされた時はホッとした、と言っていました。

「これでもう逃げなくていい」 と思ったのだそうです。

食べ物がなくて進駐軍の残飯を買うために人が並んでいた時代で、セツコさんは畑の作物を盗んだこともあったそうです。

セツコさんは私と昔の話をしていて、時々、 「いろんなことがあったなぁ・・・。ホンマに、いろんなことがあったわ・・・」 としみじみと言っています。 

90年近く生きていれば、楽しいことも悲しいことも、様々な出来事がたくさんあったはずで、人に言えない悩みや苦しみもあったのだと思います。

時が過ぎて、こうしておばあさんになると、すべてのことを、穏やかに、心静かに振り返ることが出来るみたいです。

セツコさんが生きてきた証し、セツコさんの人生の軌跡となるそれら様々な体験・・・。

それは、楽しいこともつらいことも、そのひとつひとつが、地上に生まれて来なければ経験できない貴重な出来事です。

お金などはあちらの世界に持って帰れません。

持って帰れるものは、一生をかけて学んだたくさんの経験です。

人間はそれらの経験を両手にいっぱい抱えて、あちらの世界に帰るのだなぁ、と思いました。

セツコさんは現在1人暮らしで、 NHK の連続ドラマと、殺したとか殺されたとかいうドラマ (←本人談:サスペンスものだと思われます) を楽しみにして、のんびり過ごされています。

娘や孫が時々訪問し、ヘルパーは週に6日入っていて、そうした人との関わりも楽しみのひとつみたいです。

私が行くと 「来てくれてありがとう」 と言い、 「外は暑かったやろ? はよクーラーに当たり」 と言ってくれます。

サービスが終わると 「おじいさんちに行く前に、クーラーで涼み」 と言い、帰り際には 「ありがとう、また来てね」 と言ってくれます。

お風呂で頭を洗って差し上げると 「ありがとう」 体を拭くと 「ありがとう」 湿布を貼ると 「ありがとう」 ドライヤーで髪を乾かすと 「ありがとう」 と、感謝の気持ちはいちいち全部言ってくれます。

良い年の取り方をされているなぁ、と思うと同時に、私もこうなりたいと願い、そして私も、あちらの世界に帰る時はたくさんの経験を持って帰りたい、とそう思っています。






本もよろしくです。 (^-^)/

ひっそりとスピリチュアルしています [ 桜井識子 ]
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