人の役に立つことをしたい、社会に貢献したい、と思っているのに、何をすればいいのかわからない……という方がいらっしゃると思います。 いただくメッセージを見ていると、迷っている方が多いみたいなので、以前どこかに書いたことがあるのですが、ちょっとそのへんをブログでも書いてみようと思います。 人間は生まれる前に、人生の計画を立てています。 こういう仕事をしようとか、このように社会に貢献しようとか、人に優しくできる人になろうとか、計画は人によってそれぞれです。 たとえば、人の役に立つ人生にしようと決めたら、魂は、その下準備もちゃんと計画します。 少ない予算で栄養たっぷりの美味しい家庭料理を創作する人になろう! と決めて生まれてきたとします。 その人は、その計画が達成できるよう、事前に(子どもの頃から)準備をしています。 無意識に、です。 人前に出ることを苦痛に思わないようにするために、また、誰にでもパッとわかる話し方ができるように、学級委員になって訓練したりします。 幼い頃から料理が大好きでしょうし、もしかしたら、両親や祖父母が食通かもしれません。 どんなに幼くても興味があるとわかれば、包丁を握らせてくれる母親を選んで生まれてくることも考えられます。 低予算のレシピをたくさん持てるよう、有名になるまで貧乏が続くということもあるでしょう。 貧乏だからこその工夫ができるからです。 SNSで有名になる予定だったら、パソコン関係に強い、ということもあると思います。 こうして、無意識のまま下準備を重ねていき、ふと気がつくと、計画を実行できる人物になっている、というわけです。 私を例にしますと、スピリチュアルな情報を発信したいという計画で生まれてきました。 この計画を達成できるように、また継続できるように、魂は人生のあちこちで準備を整えています。 私は両親に絵本を読んでもらった記憶がありません。 本は自分で読むものでした。 母のいちばん下の妹である叔母が、私が2歳になる直前に文字を教えてくれたのです。 根気よく教えてくれたおかげで、私は2歳になる少し前に文字が読めるようになりました。 そこからは絵本はすべて自分で読み、本を読む楽しさを知りました。 読むことが楽しかったので、作文などを書くことも好きでした。 自分の経験を「書く」という作業を苦痛に思わないため、ブログを続けることができました。 最初の結婚をしていた10年間、私はほぼ毎日運転をしていました。 スポーツサークルに入っていたので週に2回、遠方にある体育館に通い、買い物も、すべて車で行っていたのです。 その頃、両親は鹿児島にいたので、当時住んでいた福岡から1人で運転をして、両親に会いにも行っていました。 当時は鹿児島まで高速道路が開通していませんでしたから、長時間、それも山道をくねくねとドライブして往復していました。 そのおかげで、どんなに険しい山の中や、細~~~い林道でも、たとえ外国でも運転ができます。 どこにでも取材に行くことができる手段を、この時に確保したのです。 1回目の離婚直後には、英会話を習い始めました。続きをみる
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