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(^-^)
日光市の中禅寺に行きました。
詳しいお話は別の機会に書きますが、ここの本堂の前に、〝天邪鬼(あまのじゃく)〟とされている像があります。
その天邪鬼は石灯籠の一部となっていて、灯籠を頭及び肩の上に載せています。
ユーモラスな顔をしているからか、なんとなく可愛く感じて、そばに寄ってみました。
「中に入ってるのかなぁ? 空っぽかな?」 と思って見てみたら、ちゃんと入っていました。
で、話しかけてみました。
「私、君の友達を知ってるよ」
すると邪鬼はぶっきらぼうに答えます。
「友達なんか、いねえ」
「友達じゃないのか、じゃ、同じ邪鬼っていう仲間?」
「…………」
「その邪鬼は木でできてるねん。しかも宝物殿に安置されてたよ」
「ふ~ん。ワシ……石……」
「知ってる。見たらわかるから。っていうか、今のもしかしてダジャレ?」
うぷぷぷ、と1人で笑っていたら、この邪鬼は自分の頭上も石でできているから重たいのだ、と言っていました。
そりゃ、そうだろうなぁ、と同情しました。
自分より大きい石をずっと持ち上げていなければいけないのは、結構つらそうです。
ここで疑問を持たれた方がいらっしゃるのではないでしょうか。
「どうしてそんなしんどい状態の像に、邪鬼が律儀に入ってるの?」 と。
邪鬼は 〝自分から〟 このような像に入るわけではないのです。
何か悪いことをして、仏様に退治されたというか、お仕置きとして入れられているのですね。
ですから、お寺のあちこちにある邪鬼の像、邪鬼の彫刻、仏像に踏まれている邪鬼などは、意外と中に入っていることが多いです。
「そんなの、怖い~」 と思われるかもしれませんが、大丈夫です。
像に閉じ込められているので、悪さは一切できません。
そして仏様に退治された時点で、毒気も抜かれています。
意地悪でも邪悪でもなくなっているのです。
元はそういう類の悪霊だったのでしょうが、なんというか、恐ろしい仏様に叱られてシュンとしたような感じになっています。
大阪の観心寺にいる邪鬼もそうなのですが、なんというかちょっと可愛いなぁと思える存在なのです。
像に閉じ込められているのも永遠ではないようで、お仕置きが済めば (つまり十分反省して悪い心が消えれば) 動けるようになります。
仏様が改心させている途中なのですね。
仏様はとても厳しい面もありますが、やはり慈悲深いです。
本堂の脇にある石灯籠です。
うっかりすると見過ごしてしまうかもしれません。
うわぁ、しんどいだろうなぁと同情してしまいます。
ちょっと傾いてるし~、と思いました。
本当に重たいのだと思います。
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